新年早々感じた家族兄弟の闇への気付きから繋がった”ワンピースの正体”

明けましておめでとうございます。

 

 

 

(※この記事は、途中胸糞悪くなると思いますが、最後まで読めば結構面白い記事だと思います。多分。)

 

 

 

 

 

明けましておめでとうございます。

 

今年もよろしくおねがいします。

 

いよいよ、波乱の年2020年がやって来ましたね。

 

さっそくですが、まず最初に思ったこと。

少年ジャンプ「ワンピース」の急展開に驚くとともに、「なぜ?」って疑問が。

 

「あと5年掛けて終わる」と言いながら、

この時期にこの駆け足展開を持ってくるっていうことに違和感を感じました。

 

短期間で伝えたいことがあるのか?

 

天才天界さんの「2020年の予想」にも繋がる気がしちゃいました。

2020年の3月に「大災害を超える天変地異の年になる」的な予想

 

3月までに駆け足ででも「ワンピースの暴露メッセージ」を公開したいのかな?とか勝手に妄想広げちゃいました。

 

とか言いながら、何も無ければそれはそれで良いんですが、なんかモヤッとしました。

まぁ多分ただの思い過ごしですが。

 

ワンピース毎週は観れてないので、まったく見当違いなことかもしれませんが、でもたまに観た時にも気づくことがあって、ちょっと風刺があからさますぎだとか思ったりもしました。

ワノ国での毒魚食わされてるとかの話とかも日本での実情ですし、下級市民は毒が入った水や食料を摂らざるを得ない状況や、上流階級の者だけがまともで良質な食料を得られる とかもまんま現実日本への風刺だと私は感じました。

 

民衆は本当は気がついてるけど、自分たちではどうすることもできずに、劣悪な環境にも甘んじて見て見ぬ振りして誰かが変えてくれるのを期待するしかなく生き延びているみたいな。

あからさまにフリーメイソンのメッセージも入れまくってますし、、

 

んーでもやっぱりわからん。

違かったらすみません忘れて下さい。

家族での新年会。

実家で、家族で新年会的な集まりがありました。

ぶっちゃけ超いきたくなかったですが、割り切って行きました。

 

もちろん両親がこのブログを観ていることもわかっていますし、私の書いた内容に腹を立てていて反抗心を感じ取りました。

 

観てないふりしていることにも気づいてるし、その上でこちらも気にしてないフリしている。ということも両親も気づいていたはずです。

だって、事実だから。

どれだけ表面上や言葉では嘘つこうとも事実は事実なので、見ているということが事実なので、お互いハッキリ伝わってくるものがあるんです。

それをお互いが実際に認め合うことができるようになった時が、本当の意味での理解しあえる一歩目なのだと思います。

このまま見てないふり気付いてないふりで、上辺だけでヘラヘラ付き合うだけの当たり障りない関係でも、それはそれで仕方ないとも思います。

どちらが良いとか悪いとかも無いと思います。

そのときのその瞬間の自分の本心を大事にすればいいと思います。

 

新年会で感じたモヤモヤ。違和感。。

新年会のその場には入籍したばかりの兄二人の奥さんたちがいたということで、両親・私・姉の夫婦はぶっちゃけ愛想笑いのオンパレードでした。

 

ついこの間に、家族のとんでもない闇表面化して全員で向き合うことになったばかりのはずなのに、それをなかったことにしたかのように、また「本当に大事な部分」に蓋をして、表面上だけの「見栄」のための結婚競争みたいな兄弟間のマウント取り合いみたいなものに付き合わされなくてはならないという。。

 

両親もぶっちゃけ「子供の結婚を素直に祝える気分じゃない」というのが手にとるように感じられましたし、私自身も正直「バカじゃねえの。この期に及んでまたそれ繰り返すん?」と思いました。

 

兄二人の「”無条件の愛情”をもらえなかった”幼少期のわだかまりという我慢”」が今になって溢れ出てきているのが目に見えてわかりました。

 

こんなこと書いてて私のことを酷いやつだと思う人もいると思いますが、正直に感じたありのままの気持なので別に嫌われても良いです。

嘘ではないので。

 

そして、その場に父が持っていた「兄弟の幼少期の古い写真」が大量に出てきました。

 

これについても見れば見るほどすごく気づきがありました。

 

姉⇨兄⇨兄⇨私 という4兄弟です。

必然的に一番上の姉と私の歳はかなり離れているので、私が産まれたときには姉は大きくなっていました。

 

なので、ちっちゃいというだけで会う人会う人に可愛がられ、ちっちゃいというだけでチヤホヤされまくる小さな弟に対しての歯がゆい深い嫉妬心が、アルバムの写真の至る所に現れていました。

 

目が悔しそうで、寂しそうで、もっと私を見て!っていう気持がひしひしと伝わってきました。

だけど、自分はお姉ちゃんだから、わがまま言ってはいけない。

いい子にしていなきゃ母と父に気に入ってもらえない。

 

体の大きさはどうあがいても変えられないから、自分はいい子にして褒められるしかないんだ。

 

そういう気持がすごく感じられましたし、手にとるようにわかりました。

 

そして、それを当時の両親は気付いていなかったということも残酷な現実だったんだなと。

 

「もし自分が姉の立場だったら」

そうやって姉の立場にたった気持ちをリアルに想像することで、色々な気持が理解できました。

 

だからこそ、末っ子でちっちゃくてチヤホヤされまくっていた幼少期の頃の私を上の兄弟たちはいじめていました。

色々な嫌がらせを受けました。

兄には暴力も常に受けていました。

 

私は私でチヤホヤされたり良い思いをしたのも事実です。

でも、その分だけ親の見ていないところでは本当に辛い気持を味わう毎日に苦痛を感じていたのも事実です。

 

当時は本当に兄弟を「本気でぶ○ころしてやりたい」と思うほどその現実が嫌で嫌で仕方なかったし理解できませんでした。

 

姉⇨⇨兄⇨私

この長男の兄についても、底知れない劣等感を感じ取りました。

 

この長男の兄はあまり積極的には私に対してのいじめには参加していませんでした。

姉と次男が私に嫌がらせしているのをただそばで止めずに見て笑ってるだけだったりとか、別に悪気が100%あったわけでもなく、あまり兄弟に対して興味が薄かったような感じです。

でも、やっぱり小さい頃の写真を見れば見るほど、自己肯定感が極めて低いのが見て取れました。

 

下の弟二人ばかりがもてはやされ、母にはその容姿すらも否定されたり笑われたり、「変な顔」とか普通に自分の子供に対して言い放つ母でしたから、そういう両親の何気ない一言が、小さい頃から大きな心のトラウマになっていたことは確実です。

 

大人になった今、それを心の奥深くにしまい込んで、見て見ぬ振りしていますが、その幼少期の劣等感は、今も兄の心の中には大きな闇として存在してます。

本人や両親が否定しようとこれは確実です。

その時の状況とその時の「目」を見れば、感情がはっきりわかるからです。

 

そして事実なので嘘ではないのでいろんな幼少期の両親の発言にも辻褄合ってしまいます。

 

思い出せば出すほど、4兄弟のそれぞれが、それぞれに色々な両親からの劣等感を植え付けられていたことがよくわかりました。

姉⇨兄⇨⇨私

次男の兄については、1番ストレートに私に対しての嫉妬をぶつけてくる存在でした。

「お前がいなきゃ俺が末っ子だったのに」

それが写真を見れば見るほどハッキリ伝わってきました。

 

”誕生日ケーキに喜ぶ末っ子の小さい私”を尻目に歯がゆい気持を抱えている上の兄弟3人の目の雰囲気。

 

それを気付かぬふりして、子供からの嫉妬を利用して、「自分の満たされなかった幼少期の想いを満たそうとする両親」

 

そういうところにも次々と繋がっていき、思考が止まらなくて、夜なかなか眠れませんでした。

 

こうやって両親の両親からも色々な劣等感や闇を受け継いで代々繋がってきているんだなってハッキリ感じ取れました。

いろんな人の満たされなかった想いが、子供を使ってまた繰り返されているんだなって思いました。

 

そして、ここでハッキリわかりました。

新年会での矛盾した雰囲気に感じたモヤモヤ感の正体が。

 

 

闇を見て見ぬ振りして解決や認識せずに、両親から産まれた4兄弟の子供たちが、また新たな「こども」を生み出し、心の奥底では大きく成長して残っていた劣等感を埋めて満たす為の「結婚というその場しのぎの蓋」で闇を見えなくさせていく。

 

そして、また「見返りを求めるエゴからくる最初だけは美しい愛犠牲者となる子供が、その尻拭いをさせられることになる。

 

 

両親の若い頃の写真を見れば見るほど、辛いです。

だって、幸せそうだからです。

 

 

たとえ「表面上だけの最初だけ美しい愛」だったんだとしても、その瞬間を写し残した写真には、たしかに幸せも存在していたからです。

 

だからこそ、「最初だけかよ」「やっぱいつかぶっ壊れるんだな」って思ってしまって、すごく辛くなりました。

 

体だって、父の若い頃は私よりも筋肉があってかっこいいんです。

 

でも、私が壊した体の部位とか、右肩が下がってるところとか、腰を壊しやすいこととか、体の至るところが似ていて、やっぱり良くも悪くも血の繋がった分身のような子供が私という存在なんだなって思って。

 

そして今こうして書いているこの言葉や思考すらも、その全てが父の中のいち部分でしかないのかなとか思ったり。

 

時代や環境は違えど、やっぱり行き着くところは「不平不満ばかりの老いた”今”の父の姿」そのものなのかなって。

そんな想像したら、結局はどう頑張っても自分は父にしかなれないのかとか、たとえ今はこんなブログで偉そうに言葉を並べていても、

 

私が父の嫌いで仕方ない部分である「知ったかぶり」「偉そう」「愚痴ばかり」「横柄」「すぐ驕る」

そういう部分が本当にハッキリ受け継がれているなって嫌でもわかってしまって。

 

わけわかんなくなってきます。

 

 

 

でも、それでまた今日考えついた結論もありました。

 

 

結局、「みんな同じじゃない」ということです。

 

 

 

それぞれにそれぞれの。

4兄弟のうちのそれぞれにそれぞれの違う立場や境遇や歯がゆい気持ややり切れない思い出があるように。

それって、4人全員全部違うし、誰一人同じ思いはしてないし、そして「良い思い出」も「悪い思い出」もそれぞれにあること。

 

両親についても、それぞれが違う両親を持ち、それぞれが違う兄弟を持ち、「誰とも同じじゃない環境」で「かけがえのない1つの人生」を生きているということ。

 

チヤホヤされれば嬉しいし楽しいけど、その分調子に乗るし兄弟や他人からも嫉妬されやすくなったり反感を買われやすくなる。

我慢して自分のわがままな気持を抑え込んでいれば褒められるけど、本当の自分の気持は満たされないしありのままの自分がどんどんわからなくなる。

 

 

 

でも、その全てがあったからこそ、今の自分がいる。

 

その全てがあったからこそ、今の気付きに至れた自分がいる

 

 

 

その誰か1つでも違えば、今の自分は存在すらしていない。

兄弟が3人で止まってれば、今の自分は産まれてもいなければこんな思考に至ることも無い。

 

 

 

 

そして、両親二人もまったく同じで、両親の両親がいなければ、両親は出会ってすらいないし、私達兄弟もいなければ、今こうしてあなたが読んでいるこの文字すらも存在していない。

 

 

 

 

こう思うと、

やっぱり全部がなるべくしてなってるなって、底しれぬヤバめな確信に繋がり、そして、これから思い悩む全ての一瞬が、すべてシナリオ通りでかつ自由で、かつシナリオ通りなのではないか、、、、っていうヤバいところに行き着きます。

 

そして笑えちゃう。馬鹿馬鹿しくて、そして全てが繋がっていることに気づく。

 

 

 

一瞬一瞬、一人ひとり、良い悪い、その全て。あらゆる全てが全部繋がってることに気づきます。

 

 

 

 

悩みも苦しみも上手く行かないこともいじめも争いも戦争も、全部がみんな、この地球にわざわざ記憶を無くして0から赤ちゃんから役者としてリアルに演じに来てるだけですよ。

 

本当はあらゆるすべては繋がってるし時間も空間も全てが1つであり、1つでありながらそれぞれに違う色も持ち合わせて「違いを経験するために産まれて作用し合っている世界」。

 

全世界というパズルの1ピース1つ1つが私たちであり、その全てがあって1つだということ。1つとして1つで完璧なものなどないということ。

 

 

 

 

 

 

ワンピース」ってこれじゃね??

 

 

 

 

違うか。笑

 

 

 

 

だから結局何が言いたかったか。

どんな自分も自分だということ。

どんなうざい相手もムカつく現状も向き合いたくない現実もすべてが自分自身の一部だということ。

 

楽しみまくるため、

喜びまくるため、

悩みまくるため、

苦しみまくるため、

痛みまくるため、

傷つけ合いまくるため、

 

 

気付きまくるため、

 

 

 

そして、最後には全部があったからこそ、全部の歴史があったからこそ、死んだ時には「笑い話」になっちゃう。

 

 

「死んだら全部が笑い話」

悪役がいたからこそ、死んだものがいたからこそ、殺し合った者や争い合った過去があったからこそ、「今」があり、その全てがあって最後には笑い話になる。

 

 

 

 

 

…さすがに無理あるか。笑

 

 

(※もちろん尾田さんの「ワンピースは実体のあるご褒美のような物である」的な発言があることはわかった上での”躁モード殴り書き記事”でした。)

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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