【一人暮らしアルバイト生活】フリーター男のとある1日の思考を言語化

表面的な部分だけで目の色を変え、他人の優劣を判断する日本人の性質

(※追記:「今」の自分はこう思ってる。…っていうだけの突発的な殴り書き記事です。謎)

 

 

その人がどんな人であるか深く知らないのに、その人の身につけている服装や、その人の職業、その人の地位や立場という表面的な部分で人を判断し、偏見や評価をするというのが日本人の常識的な風潮ですよね。

 

べつにそれは100%悪いことではないんですけど、底辺職にいるからこそ、そういう日本の闇をストレートに感じる日々なんです。

 

明らかにフリーターっぽい底辺職の格好をしていることがわかっただけで、一瞬で目の色を変えて目の前の相手を見下したり、自分のほうが無条件に上だと思いこんで偉そうに接してくる人。

 

そういう薄っぺらい人間との対応をモロに経験できるのが、底辺職にいて勉強できることでもあります。

 

ぶっちゃけるとうざいことはうざいですし、くそ腹立つ思いをすることばかりです。笑

 

自分が選んでいる状況なので仕方ないというのはわかっていること前提で書きますね。

 

 

日本人ってホントそういう空気感強いですよね。

海外行ったことない自分が言うのも説得力は無いんですけど。

 

でも確かに感じているひともいる筈です。

「表面的な目に見える部分だけで相手を判断する空気」を。

 

私服で歩いている人には、最初は下手に出て警戒し合って、遠回しにじっくりとお互いの立場や地位を探り合う。

 

そして、相手の職業や地位や立場を把握できた途端、それが自分よりも「下」だとわかった途端に、相手より自分の方が強いかのように態度を変えて接する。

「大人になること=諦めること」?

そういう人が多いです。

自分が底辺層にいるからこそ、それを強く認識できます。

人間の醜い部分を強く感じられる経験の場です。

 

ちっちゃい時は、割とみんなありのままの自分でのぶつかり合いの日々だった気がします。それもひとにもよりますが。

 

「大人になる」「現実を見る」「社会を知る」っていうのは、立場や服装や所得や職業によって、そういう表面的な部分で一瞬で目の色変えて判断し合うような、そういう「悲しい世界に仲間入りすること」なんでしょうかね。。

 

もちろん、自分自身も学生の頃はモロにそういう価値観の中で必死に将来への不安と闘っていました。

そして、引きこもりやニートやフリーターの人に対して「甘え・負け組」みたいなイメージで勝ってに捉えていました。

今思うとそんな浅いイメージを抱いていたことが悔しいし恥ずかしいです。

 

そして今ではそのイメージが「100%での事実ではない」ということに気がつくことができましたが、それまでは明らかに自分も、表面的な部分で他人を判断し、見下し、薄っぺらい「常識」という見えない空気の中でもがいていました。

 

だから、それを100%で責めることもできないし、どっちもあって当たり前であり、どっちが正しいかも一概には判断できるような簡単な問題でもないと思います。

 

でも、実際に底辺職をしてみると、その底辺層の中にいる人にも色々な事情や想いや闇を抱えている人がたくさんいることがわかります。

「いや、そんなんどこの世界にもいるわ、お前だけが苦しんでると思うなよ、みんな辛いの我慢して働いてんだよ」と思うのもわかります。

人それぞれどんな職業であっても抱えている闇や我慢がある、それが当たり前ですよね。

 

でもだからといって、

・「底辺層=見下しても良い」

・「我慢して働くのが社会人の大人の常識」

・「苦労してないやつは弱い」

 

とかそういうふうに「一括に判断することは非常に浅はかである」ということが、実際に経験してるからこそわかったことなんです。

何かに我慢してるから、他人を攻撃したり見下したりする。

言いたいこと言えてないから、弱い立場の人間に対して八つ当たりをしてしまう。

我慢して自分を偽っているから、他人を攻撃したり愚痴を言い合う。

そうしていることで、その時だけは、一時的には原因に向き合わなくて済むからです。

 

無理して我慢して働いているからこそ、自分より下の立場の人間をターゲットにして、「ぶつけようのない怒りを撒き散らしたり、言い返せない立場の人に対しての鬱憤晴らし」をする大人がたくさんいるんだと思います。

 

「お金・世間体・地位・その場しのぎの欲・親や家族や友達からの期待」のために、本当はやりたくないことを必死に、心を亡くして忙しくさせて働いている人がほとんどだと思います。

 

そして、それすらも別に全否定するつもりはありませんし、それが100%悪いと言いたいわけでもありません。

 

自分もずっとそうでしたし、私にもそういう一面もあるのが事実です。

このままの自分で、本当に良いのか?

でも、、

「本当の本当に、そのままの自分で、心や体は納得しているの?」

という疑問は常に自分自身に問いたいと、私は思っています。

 

だからこそ、本当の自分の気持ちを大事にしたいと心から想ったからこそ、私はそういう「外側からの評価」を犠牲にしてでも見下される立場に身を置く決意をして新たに人生を一歩ずつ進みたいんです。

 

 

お金、社会的地位、世間からどう見られるか、親や家族や親戚や友達からの評価。

そういうものを、一気に今ここで全部、自分の目の前から消し飛ばせるとしたら。

 

 

 

 

「今この瞬間、自分の抱えている重荷を全部降ろせるとしたら、自分は何をやりたい???」

 

 

 

 

借金、ローン、つまらない仕事、親の期待、友達への見栄、世間の目、家事、支払い、、、

そういういつの間にか無意識に抱えて来てしまった荷物を、今だけは降ろしていいよ、なかったコトにしていいよ、っていう状況を想定するとした時。

 

その時、本当の本当に心の底からまず何をしたい?

 

 

ギスギスドロドロな世の中だからこそ、この問いを自分自身にぶつけ続けることは、すっげー大事なことだと私は思います。

 

 

「とりあえず体を休めたい」

「あそこに行ってみたい」

「思いっきりゴロゴロしたい」

「ハンドボールしたい」

「自分の腹で想っていることを、みんなに伝えてみたい」

「嘘や偽りや表面的な付き合いじゃなく、本当の気持ちを語り合いたい」

「楽しいと思えることをしたい」

「旅行に行きたい」

「ゆっくり本を読みたい」

「ブログやYouTubeで自分の興味のあることや得意なことで人の役に立ちたい。」

「好きな人と多く一緒にいたい」

「世界について、社会について、モヤモヤしていたけど見て見ぬ振りしていた問題に、向き合ってみたい」

「体の悩みに向き合いたい」

「自分に合った食事を自分の手で考えて作って体を癒やしたい」

「無理せず楽しく運動をしていきたい」

「好きなことを好きって言いたい。」

 

 

やりたいことを正直に考えてみた時、「やめたいこと」が強く見えてきました。

 

「痛いまま放置したくない」

「居たくない場所に行きたくない」

「体を壊してまで心を壊してまで、無理して過剰に働きたくない」

「やりたいことを抑えたくない」

「他人の目を気にして気を遣いすぎて疲れたくない」

「マウント取り合って地位や名誉で人を判断したくない」

「つまらないことをやめたい」

「仕事のせいでどこにも行けない生活から離れたい」

「常に時間に追われている不安から開放されたい」

「お金の為にしかならない労働から離れたい」

「嫌いな人といなきゃいけない時間を減らしたい」

「モヤモヤに蓋して見て見ぬ振りをやめたい」

「肌を痛めつける行動をやめたい」

「体をないがしろにする食生活をやめたい」

「見栄の為だけの無理した運動を控えたい」

「嫌いなことに時間を多く掛けたくない」

一度きりの人生、自分の正直な気持ちに素直に向き合う時間を増やして生きたい。

いろんな不安があって当たり前だし、今やってることをいきなり全部放り投げて好き勝手に生きるのが良いと言いたいわけではなく。

自分勝手にやりたいことだけをやって人に迷惑を掛けるのも気にしない、そういうことを言いたいんでもないです。

 

今やってることや、今まで頑張ってきたこと、我慢してでも自分を奮い立たせて日々努力してきたこと、無理してでも突き進めてきたこと。

 

そういう過去も、全部否定しなくていいし、全部があって、今この激動の時代を迎えている。

 

なんかモヤモヤすんじゃないですか、今の社会。

なんかやってられなくなるじゃないですか、椅子取りゲームみたいなマウント取り合いの常識。

 

だから、今までの自分を見つめ直して、それも全部認めてあげて、その上で、やっぱり自分はどんなことに人生の残された時間を少しでも使っていきたいのか。

 

本当に心の底から、「これ、やってみてーな!」っていう、そういう純粋なワクワクする気持ちとか。

そういうのをもう一度改めて考える時間を、1分1秒でもあなたが持とうとてくれていたのなら、この記事を書いた意味も無ではないと信じてます。

弱さを見せた自分に対しても、偏見せずに接してくれた人を大事にしたい。

社会的に弱い立場にいるからこそ、「本当の意味で自信を持っている人」というのを見分けることができます。

 

別に弱い立場の人に同情するのが優しいわけでもなく、「表面的な部分だけで判断しない」というのが「本当に自分に自信を持ってる人の特徴」なんだと思います。

 

そして、自分の正直な弱さをさらけ出した時こそ、「本当の意味で自分が一緒にいたい人」が見えてくると思いました。

 

そこで離れていく人は、それまでの関係であり、そしてそれが悪いことでもないから、表面的な評価をあんまり気にしなくてもいいのかなって。

そして、やっぱり本当にわかり合える人に出会いたいのなら、自分の本当をさらけ出していくしかないですよね。

 

相手に腹の中を見せてほしいんだったら、まず自分から腹の中を見せていくしかない。

良いことも悪いことも、自分の見てる世界が全部鏡のように投げ返してくる。

今の自分が他人から笑われたり見下されるのは、過去の自分が全く同じことを他人に対してやって来たからだということ。

 

見た目で他人を馬鹿にしたり、笑ったり、表面的な部分で判断して評価したり見下したり。。

その時は疑う余地もなくそういう自分の性質全開で生きていました。

それが正義だと思いこんでいたからです。

そういう世界だから仕方ないと思い込んでいたからです。

 

弱いやつが悪い、勝った者が正義。

「そういう宗教」を信じていたからです。

 

でもやっぱり、他人に与えたエネルギーは、良くも悪くも全て、全部そのまま自分にも返ってくること。

これは理屈なしでそういう仕組みになってるんだと私は勝手に想ってます。

 

肌の悲鳴を無視してダメージを重ね続ければ、やがてぶっ壊れる。

無理して体をないがしろにし続ければ、いずれ壊れる。

嘘ついて金を騙し取れば、やがて相手の恨みに繋がる。

 

良くも悪くも、全てのエネルギーは循環していて、どんなエネルギーであっても、蓋して無理やり見て見ぬ振りしていると、やがて溢れ出して爆発する、ということです。

 

そしてそれは、正しいとか間違いとか人間本位の判断に関わらず、「感情という今その瞬間にあるエネルギー」に起因しているということ。

 

いじめる側といじめられる側、両者の心の中に少しでも罪悪感や嫌悪感や怒りや憎しみや悲しみが発生した瞬間、それは全て自分にもそのまま返ってくる、と私は勝手に思ってます。

 

そして、たとえ「世間一般的に正しいとされる良いこと」なのだとしても、本心で見返り求めてそれを無理やり続ければ、それはたとえ「良いとされること」なのだとしても、やがて「ストレス」になって「義務感」が生じてしまって、そのストレスが自分の中に溜まっていき、「逆恨み」「怒り」「憎しみ」に繋がったりもすると。

 

例えば家事にしても、最初は子供のために純粋にやりたいと思えていて、たとえ感謝されなくても本心で「自分がしたいからただそうしていること」だったとしても、色んなことで余裕がなくなって、自分が家事をしていることに対して当たり前のように何も気にしていない相手が憎く感じてしまったり、寂しさを感じてしまったりすることもあると思います。こういうお母さんたくさんいると思います。

 

かといって、そういう我慢の上に支えられえてきた子供が自分でもあるし、かといって我慢も良くないし、、、

「そうなってくるともう何も他人に対してできなくなっちゃわね??」って思ってしまいそうですが、、

 

ごちゃごちゃしてしまいすみません。

だから、何が言いたかったかと言うと、

「見返り無くてもいいからやりたいこと」で「自分も相手も嬉しいと思えること」。

で、「見返り無くても良いけど、あったらあったでなおお互いが嬉しいこと」

 

これがよくね?と思いました。

 

 

…は??

 

 

 

すみません、自分でも意味分かんなくなっちゃいました。笑

 

でも、わかんなくていいんじゃね?って思います。

 

わかんないからこそ、それを一つずつ自分で試して経験して学ぶのが人生かなと。

そういう無理矢理な結論です。笑

 

これが正解っていうのは無いのかもしれませんね。

でも、これが本心で嬉しい、とか、本心で楽しい、っていうのは、たしかにあると思いませんか?

理屈云々より、感情が喜んでる!楽しんでる!ワクワクしてる!ドキドキしてる!あったかい!とか。その逆もしかり。

 

 

だから、単純に、正しさとかは置いといて、人を傷つけないことなら、本心を大事に直感で行動してみるのも良いのかなって思いました。

 

 

そんな支離滅裂な殴り書きでした。笑

お読みいただきありがとうございました。

 

 

 



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