百合疑惑のジブリ映画「思い出のマーニー」の感想レビュー。実は神作品

米林宏昌監督作品のジブリ映画「思い出のマーニー」を観て感じたこと殴り書き。

 

※ネタバレ注意※

 

 

 

5回くらい観てますかね。。

ジブリで1番好きな「思い出のマーニー」という米林宏昌監督の作品です。

原作はイギリスの児童文学作品です。

 

この映画に対しての「表面的なイメージ」では、「レズ映画、百合映画」などと言われてます。

もちろん見る人によって作品の感想も違うのは当たり前なのですが、

でも2回以上観ていくと、それは単なる表面的なイメージでしかないとわかります。

 

他のジブリ作品、宮崎駿監督作品と比べてしまうとストーリーに大してインパクトもなく、ファンタジー要素も皆無です。

 

私は他の宮崎駿監督の作品も素敵で大好きですが、米林監督のこのマーニーも大好きなんです。

心の中に闇を抱えている人にはきっと強く響く、細かい心理描写がすごく大事に描かれている作品だと私は思ってます。

 

刺激が欲しい時にはかなり物足りない作品ですが、

「自分のありのままの気持ちに向き合う手助けになる映画」だと勝手に思ってます。

だから、すごくオススメしたい映画なんです。だからシェアしたいなと想って記事を書いてます。

 

 

 

映画の中で印象に残ったシーンがありました。

 

主人公の中学生女子「アンナ」が、持病の喘息の療養で北海道の自然の中にある田舎町で一夏を過ごす物語です。

 

そんな田舎町で、アンナの1つ年上の「ノブコ」「ノブコの友達2人」と神社の七夕祭りに行くシーン

 

アンナが七夕祭りで短冊になんとなくで書いた願い事。

 

「毎日普通に過ごせますように」

 

その内容を、不意打ちで勝手にノブコに見られてしまい、動揺し恥ずかしくなるアンナでした。

 

そして、ノブコに顔を近くで覗き込まれ、アンナの眼の色が青いことを指摘されます。

その瞬間、他人に急激に干渉されたアンナは、不安と憤りの感情が抑えられなくなり、突発的にノブコに対して、「いい加減ほっといてよ!太っちょ豚!!」と言い放ってしまいます。

 

一緒に祭りに来ていたノブコの友達2人とノブコは驚いた表情になります。

ノブコの後ろで聞いていた2人の方は、アンナの言葉に笑いを必死に堪えている様子でした。

 

「後ろで聞いてた2人がノブコに悟られないように笑いを堪えていたこの描写」で、

「ノブコの太った容姿に対して本当は馬鹿にしていた。けど今まであえて誰も指摘したことは無かった。」ということがわかります。

それをアンナがストレートに言い放ったから、2人は笑いを必死に堪えているということだと感じました。こういう細かい心理描写がこの映画にはたくさん散りばめられています。だから大好きです。

 

 

「いい加減ほっといてよ!太っちょ豚!!」

そう言われたノブコはアンナに対してこう言い返しました。

 

「ふーん…。普通の意味がわかったわ。でも可哀想に。普通のフリをしても無駄。だって、あんたはあんたの通りに見えてるんだから。

そう言われたアンナは図星を突かれたようにまた憤り、赤面します。

 

でも、ノブコもその後にちゃんとフォローを入れて、「はいっ!これで終わりにしましょ。ねぇ、今度私達と一緒に…」

その瞬間、ノブコの手を薙ぎ払って短冊を吹き飛ばし、アンナは走り去り神社から抜け出します。

 

「私は私の通り…。」アンナは涙を流しながら走り、湖の方へ。

 

「私は私の通り…醜くて…バカで…不機嫌で…不愉快で…!」

「だから、私は私が嫌い…」

 

「だからみんな私を……」

そこで幼少期の回想が流れます。その回想は、両親が事故で亡くなったアンナを厄介物扱いして引取先を押し付け合う親戚たちの描写でした。

 

 

このシーンがなんとも切なくて、色々考えさせられました。

 

「自分が嫌い。」

その感情の原因は、幼少期の複雑な環境や、血の繋がっていない保護者に対しての疑念や猜疑心が大きいんですよね。

 

自分の家族は他の家の子供達とは全く違う環境。

それに対してすごく劣等感や孤独感を感じてしまう。

 

そしてなにより、それを気にしてしまう自分がすごく情けない。

今の保護者にも感謝している気持ちがあるからこそ、気にしてしまう自分がすごく嫌になる。

 

考えたくなくなって見て見ぬ振りして感情に蓋して過ごすうちに、

すごく不機嫌な表情になっていたり、不愉快な雰囲気を出してしまったり、自分のことを醜く感じてしまったり嫌いに思ってしまったり。

そうやって自己否定してしまう自分がもっと嫌いになってしまったり。

 

 

こういうアンナのありのままの部分が、すごく自分にも重なって共感できる映画です。

 

でも、この映画はそれで終わりじゃなくて、アンナがそういう嫌いな自分と一歩ずつ向き合う物語なんですよね。

 

「マーニー」という謎の少女の存在が、実は自分のルーツであったということは、アンナの深層心理ではなんとなくわかっていたと思うんです。

だからこそマーニーに対して何か特別な想いを抱いて、自分の正直な闇をありのままに話しているし、マーニーの中の闇も受け入れて救いたいと思うようにもなっているんですよね。

 

そして、マーニーという一見お金持ちの娘で何不自由無く楽しくすごしているように見えた少女にも、その分だけ裏には闇がありました。

お手伝いの人にいじめられてすごく怖い思いや痛いことをさせられていたり、お金持ちであるがゆえに両親に全然構ってもらえずほったらかしにされていたこと。

 

天真爛漫で悩みなんて無さそうだったマーニーにも、他の家の子供にはわからない大きな寂しさがあったんですよね。

 

 

 

そして、アンナの闇は、祖母であるマーニーから受け継いだものだったということ。

 

マーニーの娘であり、アンナの母である「エミリ」

両親の死と夫の死によって体を壊してしまった母マーニーの手を離れてエミリは大人まで育ちました。

アンナと同じように血の繋がった親に育てられていないことに不安や憤りを抱えていたんです。

 

そしてエミリはそんな母マーニーを否定し遠ざけていた矢先、交通事故で夫と一緒に亡くなります。

そうしてアンナは一人になってしまった。

 

そんな両親を亡くした小さなアンナを、押し付け合うように引取先を相談する親戚たちの姿を目の前で見て、トラウマとしてずっとアンナの中に残っていたんですよね。

 

そんなこと誰にも相談できないし、引き取ってくれたおばさんにだって恩があるしとても相談できない、深く触れたくもない。

 

でも、アンナの中にはその闇が1番大きな問題として、ずっと心のモヤモヤとしてて存在していたんですよね。

 

アンナの祖母マーニーは、自分のせいでアンナが不遇な立場に追いやられることに罪悪感を抱いていたんですよね。

でも、「この子には寂しい思いをさせない」と思って1年間という短い間ですが死ぬまでアンナを育てたんです。

 

 

その時のマーニーについて、マーニーの幼馴染である「ヒサコ」はこう言っていました。

「彼女、寂しい人だったけど、いつも一生懸命生きていたわ。」

両親と娘も亡くしてしまったからこそ、残された孫のアンナを大事に思っていたんでしょうね。

 

そして、マーニーはエミリが亡くなってからの1年という短い間にもアンナのことを大切に想い、毎日子守唄のように自分の幼少期の思い出を幼いアンナに言い聞かせていた。

その思い出話が小さなアンナの深層心理にはずっと染み付いて残っていたんですよね。

 

だからアンナは中学生になってから運命のように北海道の自然に導かれ、一度ゆっくりと自分の感情に向き合う時間の中で、幼少期のマーニーを夢に観て対話するようになりました。

 

その中でゆっくりとマーニーの罪悪感のような闇の部分を、孫であるアンナ自身の正直な気持ちによって、心から赦すという選択に至った。

 

自分を一人ぼっちにした両親をずっと許せなかったアンナの憎しみや寂しさ。

そしてその原因を作ってしまったマーニーの罪悪感や後悔。

「今」を生きるアンナが、それでも周りの人への感謝を感じて色々な経験を通じた上で、自分のルーツであるマーニーを「赦す」という選択をした瞬間、アンナの中に残っていたマーニーの罪悪感も自分の一部として受け入れられ、そして血のつながっていない保護者に対する嫌悪感や劣等感もありのままに受け入れることができた。

 

他人を信じられなくて心を閉ざして遠ざけていた少女が、自分の見たくない感情や嫌いな部分に一歩ずつ向き合う行動をして行くうちに、本当に力強く「自分の中の本当に大事なもの」を思い出していく物語でした…。

 

 

 

人それぞれ色んな闇を抱えている人間社会だからこそ、メッセージを深く読み取ろうとすれば共感できる人が多い作品なんだと想います。

私自身、肌の悩み・両親の闇・体の痛み・将来の不安・人間関係など、色々な闇に押しつぶされて塞ぎ込んでしまっていた時に、この映画を観て涙が止まらなくなりました。

 

そして1回観ただけでは気付かなかった部分が、何回も観ていく内に見えてきたり、自分の心の成長に合わせて気付く部分が変わっていたりしました。

 

原作の意図や監督の意図が、本当は私の見解とは違う部分にあるのかもしれません。

ですが、自分にとっての解釈はこの記事に書いた想いであり、大好きな作品であることは変わらないと思います。

 

これからも自分に向き合いたい時に何度も観る大事な映画だと想います。

 

エンディングに流れる「Priscilla Ahn」の「Fine On The Outside」がまた神曲なんですよね。↓

 

歌詞の和訳です↓

決して、友だちが多い方じゃなかった

だから、学んだの

平気なんだって、私だけで
私だけで、私だけで、私だけで

それに、これからだって大丈夫、外側にいたって

学校でも一人でお昼を食べるのが好きだった、なんとなく

だから、これからだってずっと

ここにいるの
ここにいるの、ここにいるの、ここにいるの
それに、これからだって大丈夫、外側にいたって

 だから私はただ、自分の部屋に座り込む
何時間もお月様を眺めて
思いを巡らす、私の名前を知っている人たちのこと
泣いてくれる?もし私が死んだら
憶えていてくれる?私の顔を

そうして私は家を出た

荷物をまとめ、旅立った、ずっと遠くへと
過ぎさったあの日から
そうして私は笑った
私は笑った、私は笑った、私は笑った
私なら大丈夫、外側にいても

 時々、どうしようもなく虚しくなって、困惑してしまう
時々、気づいてしまう、私は大丈夫じゃないって
そして、私は泣いて、私は泣いて、私は泣いて・・・


そうして私はただ、自分の部屋に座り込む
何時間もお月様を眺めて
思いを巡らす、私の名前を知っている人たちのこと
泣いてくれる?もし私が死んだら
憶えていてくれる?私の顔を

孤独を知る人の歌詞って感じですよね。

 

~おまけ~

・アンナが冒頭で「この世には目には見えない輪がある。輪には内側と外側があって、自分は外側にいる」みたいなことを言います。

それはプリシラ・アーンの曲の歌詞にもピッタリ合っていて、「輪の外側で生きる」というのは、「見えない空気感や常識」みたいなものに息苦しさを感じている気持ちの現われだと思いました。

でも、アンナは「輪の外側にいる自分に対しての劣等感」を大事な自分の一部として受け入れようと踏み出したからこそ、最後には素敵な笑顔も見せるような感情の豊かさを取り戻したのかなと想いました。

 

 

・この映画では、空の天気の色の描写が、アンナの感情の変化を表していると監督が話していたと思います。

ジブリ映画では珍しく、どんよりとハッキリしない曇り空の天気。これがまた良い演出だと思い、私は大好きです。

 

 

・田舎でアンナがお世話になるお家のオッチャンとオバちゃんご夫婦のキャラもすごく良いです。

アンナに深く干渉しすぎず、でも心から心配もしてくれていてほど良い距離感で少しずつアンナの心をほぐそうとしている大人のやさしさがすっげー泣けます。

これも何回も観る度に強く気付きました。

 

 

・湿っ地屋敷のそばの湖で釣りをしている「おじちゃん」もすごくいいキャラですね。

アンナが困った時に助けてくれたり、普段無口でめったに言葉を発する姿を他人に見せないらしいのですがアンナを自分の小舟に乗せてスケッチさせてくれたり、そして最後にはアンナに口を開いて話をしてくれるんですよね。これも感動しました。

 

 

・あとは結局は本心からアンナを愛していた「おばちゃん(義理の母)」もすごく素敵でしたね。

アンナは映画の最初の方はおばちゃんのことを鬱陶しく思い、ひどい言葉を心の中で言い放ち、距離をとっていました。

でも、本当は色んな大人たちに支えられて、色んな人の過去があってこその自分の「今」の命なんだってわかってから、恥ずかしがりながらもおばちゃんから「母」と呼ぶようにまでなっていました。

最後はこんなに良い笑顔に。

このビフォーアフターにすごく泣けますね。

 

 

設定や絵云々など表面的な部分だけを見れば偏見される作品で終わるのかもしれないけど、キャラの心理や感情の変化など、そういう本質の部分を深く読み取ろうとすれば、素敵な神作品になるんじゃないかな、と私は思いました。

 

多数派の意見がどうであろうと自分が好きならそれで良いんですけど、でもそういうのすぐ気にしちゃうので、なんかもっと本質を観てほしい!と思って記事にしてしまいました。

 

観たことあるけど印象が薄かった、という人もこの機会にぜひ見直してみてくださると嬉しいです。

 

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

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