世界の闇と化粧品依存の闇の共通点を考えてたら見えた自分の進みたい道

ふとした「考え事」を殴り書きします。

このブログで「自分の見ている世界をより良い場所にしたい」みたいなことよく言ってるのですが、それって肌断食と全く同じなんじゃないかって今思いつきました。

 

「肌断食」は、「自分の肌の状態がダメージを受けていることを認める所」からスタートしますよね。

 

これは「世界の状況」とも同じで、もちろん今の状態でも問題なく幸せに暮らせている人は全然問題ないんです。

これは肌が健康な人がスキンケアを変えなくても大丈夫なのと同じで。

 

だから、自分が死にたくなるくらいまずい状況にいる人なんだとしたら、それは何よりもまず、その現実がどれだけやばいかを認めるところが最重要だと思うんです。

 

今いる世界、自分が今住んでいる場所の状況、本質を受け入れることが大事だと。

 

肌の仕組みを知るように、お金の仕組みを知ること。

肌の自然治癒力を取り戻すように、お金を自然に健全に回るような本来あるべき社会を取り戻すこと。

 

異常や悲鳴が出ているのに化粧品で蓋をして見て見ぬ振りし、一時的な表面的な美を繕うのは、無理やり弱者の悲鳴や苦痛に蓋をして見えなくして格差を生み、一部の者だけ利益を独占できているのと同じ。

その裏側である蓋の中では、たしかに肌ダメージが存在していて、世界で死んでいっている人もたくさんいる闇がたしかに実在していること。

 

それを根本的に改善するには、やはり原因の本質を見極めて、気付いた人からゆっくりでも一歩ずつ行動していくしか無いのかなと。

 

私が肌を癒やしたいと思い、肌断食を決意するに至ったきっかけは、

やっぱり「徹底的に本質的な解決策を調べる」というステップでした。

 

一度立ち止まって、色んな情報にふれて調べまくることで、「利益のための巧妙な嘘」や「本質的な解決策にはならない情報」というものの判別力が段々付いてくるんですよね。

 

そして、少しずつ「調べるというステップ」に時間を費やして見えてきた「本質的に納得できる道」に向かって、一歩ずつ「行動していくステップ」に入れるわけです。

 

そこで「モヤモヤ」とか「納得できない」という感情が心の底にあると、なんとなく本気では進めなくなるんですよね。

 

でも、悩んだり立ち止まることがあっても、「やっぱりあれを信じてみたい、あそこに帰ってみたい」と思える「答え」というのは、自分の本質なんだと思います。

 

だから、世界の闇を色々調べる中で、何が正解か、何をすれば良くなるのかわからなくなる時があっても、色々な情報に触れ続けることで、少しずつ「嘘ではない本質」の見分け方が段々わかるようになってくるはずですよね。私自身もまだまだわからないですけど。

 

でもたとえ今信じたい情報が、「嘘の情報や本質的な解決策でない情報」だったとしても、それが「必ずしも悪い影響を得るだけではない」ということ。

 

たとえば肌断食をやっていて、添加物モリモリ農薬モリモリの食事を摂るとして、それは原因の解決には繋がらないし、むしろ「嘘や害のような存在」なんだけど、それでも「一時的にストレスを緩和する役目」を担ってくれたり、心の観点から見たら「自分を癒やしている選択」にも変わるのかなと思いました。

 

もちろんそれに依存してしまっては、欲に囚われて「自分を見失う恐れ」もあるけど、「納得できた一つの正解と思える方法だけ一生絶対ブレずにやり続ければ良い」という単純な問題でもなく、たまにはブレて寄り道するからこそ見える景色や気付きもあるんじゃないかなと。

 

失敗や挫折を経験して初めて、成功や正解の本当の意味を知ることができるのかなって思いました。

 

だから結局何が言いたいか、

寄り道も失敗も挫折も疑いも裏切りも争いも、、全部が意味のある「今」なんじゃないかなと。

 

その「モヤモヤする今」を経たからこそ、「あったかい今」本質を強く感じられるようになるんじゃないかなと。

 

悩んでもいいし、自己否定する時があってもいいし、寄り道していい。

でも最後に「やっぱりこの道を進んでみたいな」って思える道こそが、「本当に自分が進みたい道」であり、「その過程全てがありのままの自分でもある」って思いました。

 

「最初はめんどくさそうだしめちゃくちゃ辛そうな道だけど、最終的には本当に心から笑えそうな道」

そういう「自分の道」をゆっくりと探し続けたいなって私は感じました。

 

 

 

それは多分ですが、

私にとっての「肌断食に向き合うという道」と、「闇に向き合うステップの手助けをする道」という2つで1つの道なんだと思います。

 

「やめとけ」

「意味ないよ」

「それは間違ってるよ」

「こっちの方が正しいよ」

「大多数のみんなはこう言ってるよ」

「黙ってみんなと同じにしときな」

他人からどれだけこういう言葉を言われたとしても、自分が「試してみたい」って思えるのなら、自分の行動で確認してみることは絶対後悔はしない道になると思います。

 

それで上手く行かなかったとしても、それは失敗にはならず、むしろ「自発的にチャレンジした大きな学び」に変わり、「自分の気持ちを大事にできたという自信」にも繋がると思います。

 

 

以上、自分の中で少し腑に落ちた「考え事の言語化」でした!

お読みいただきありがとうございました。

 

 



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