電車で席を譲って気付いた、現代を生きる為のマイケル&ジョンの哲学曲

 

今日は、殴り書き日記です。

(追記:自分の中でかなり大事な記事になりました。)

 

昨日、電車で都内まで往復2時間半ほど乗る機会がありました。

朝3時半に起きて、白湯を飲んでぬるま湯洗顔して、日課の体操1時間と部屋トレをして弁当作って着替えて、毎回ギリギリになる悪い癖で駅まで小走りで6時の電車で都内まで。

 

普段バイク通勤ですし、出来れば都心の人混みなんて心から行きたくはないんだけど、仕事として今は割り切って電車に揺られる日もたまーにあります。

 

そんな気の乗らない中でも、別にほんの小さいことかもしれないのですが、自分にとっては大きな気付きがありました。

朝の行きは電車でほぼ座れませんでした。

 

夜の帰りは、なんとか席をゲットしました。

でも、優先席でした。

疲れてたので構わず座ってました。

 

しばらくして、杖をついたおばあちゃんが乗ってきました。

自分の前に見えた瞬間、条件反射的に席を立って、顔を近づけて「座ります?」と聞いたら、「いい?」っておばあちゃんが言ってくれて、席を譲りました。

「年寄扱いするな」とか言われなくてひとまず安心。

でも、譲ったは良いものの、疲れてて少し後悔が湧きました。が、そもそも優先席ですし仕方ない、当たり前のことだと思いました。

 

すぐに動けた自分を少し褒めたくなったと同時に、「こいつ偽善者かよ」って周りのひとたちに思われてないかなとか思ったり、いや特になんにも思われてないことはわかってるけど、ちょっとしばらく考えて、ま、いっかとなる。

 

本当は、こんなことは自然とスマートに当たり前にできる人がかっこいいんだろうな、とか思ったり。

あと、おばあちゃんにわざわざ声かけずに、席を譲る意思を悟られずに席離れる方が、もっとリスクなかったか?とか後になってから考え始めたりしてました。

 

そしてその後、しばらくしておばあちゃんの隣が空いたんです。

そしたら自分に声を掛けてくれて、「座りな?」って言ってくれて。

 

謎に強がって「あ、大丈夫ですよ^^」とか言ってかっこつけました。笑

本当は超疲れてたし電車酔いで気持ち悪くてめっちゃ座りたかったくせに、それも条件反射的に見栄張りました。

 

今気付きましたが、座りなっていう誘いを断ったくせに、おばあちゃんの前にずっと立ってたのはめっちゃ失敗でした。笑

おばあちゃん気まずいやん。

 

そして、おばあちゃんは結構激しめに揺れる電車の中で、対面に立っていたスーツのおじさんに声を掛け、「どうぞ?^^」って。

そしたら、スーツのおじさんも微笑んで「あぁ、ありがとうございます^^」と。

おばあちゃんも嬉しそうで、私もバレないように微笑みました。

 

おばあちゃんとおじさんと私、さっきまでよそよそしかった電車の中のその当たり前な小さなスペース」が、少しだけほっこりとした気がしました。

 

その時、私はすごく嬉しくなりました。

おじさんも疲れてそうでしたから、なんか、良かったな、って思えました。

 

私なんて就職してバリバリ働いているわけでもなく、電車なんてめったに乗らないし大した仕事してないのかもしれない。

でも、毎日頑張ってるだろうそのおじさんが、少しでもその瞬間座れてホッと一息つけたのだと考えたら、すげー嬉しくなりました。

 

そして、私がおばあちゃんに席を譲ったからこそ、おばあちゃんがそのおじさんにも嬉しそうに声を掛け、結果少しだけ我慢して私が立ったかいがあったかなって思えました。

 

そして、その後しばらくして、対面の席も空き、結局おばあちゃんの前に座るという。笑

少々ダサいとも思ってしまいましたけど、でも、「自分の小さな愛が拡がった」って、大げさでも良いからそう思うことにしました。

 

そしてその時は「損な役回り」と思ってしまうような状況だったとしても、結果として後から得した気分にもなれたということ。

 

まぁでもこんなこと、普通に電車乗ってる人にはそもそも「当たり前に」できることなのかもしれないけど、少し前まで電車が怖くてたまらなかった自分にとっては、すごく大きな一歩に感じました。

 

ブログに書いちゃう時点で、承認欲求バリバリあるのも事実なんですが、それでも「自分の目の前の小さな場所でも良いから癒せた瞬間」なのかなって思えて、疲れてたけどあったかい気持ちになれたのも事実です。

 

普段、理不尽な悪意を向けられる機会があるからこそ、そういう小さな瞬間がすげー嬉しかったです。

みんなそういう瞬間があるはずです。

それを強く意識して良い意味で解釈したかったから、記事に書いてみました。

 

電車乗ると特に立って長時間乗ってると、次の日に残るくらい乗り物酔いが酷いんですよね。

バイク以外ほぼ酔います。

フェアリーテイルのドラゴンスレイヤー並ですよまじで。

これ書いてる今もちょっとだけ気持ち悪いです。

できればもうまじで電車乗りたくないですねー。。

なるべく乗らなくて済むような行動していきます。

 

でも、乗ったからこそ気が付けた今日の気持ちでもありましたので、複雑です。。笑

 

 

 

マイケル・ジャクソンが「ヒール・ザ・ワールド」

で言っていた、

「小さなスペースでいいから、そこをより良い場所にするんだ」

 

「そこにたどり着く道はあるんだ。

キミが命のことを十分に考えるなら、心の中に小さなスペースを作ろう。

もっと素晴らしい場所にしよう。」

みたいな言葉の意味が少しわかったような気がしました。

 

それは現実的な小さなスペースという意味でも、自分の心の中の小さなスペースという意味でも、どっちの解釈にしても少し実感が湧いた日になりました。

 

そして、このヒール・ザ・ワールドという曲は、マイケル自身がもし人生最後にパフォーマンスするとしたら何を歌う?という質問の答えの一曲なのだそうです。

「他の曲でも迷うけど、やっぱり一曲ならこれを選ぶだろうね」と。

 

それほど深いメッセージが込められた曲なんですよね。

 

だからこそ、時を経て日本の中の小さな場所で生きてるちっぽけな私という一人の人間の心にもその想いが届いて、小さな愛が拡がり、今回こんな記事を書くという行動にも繋がっています。

 

ジョン・レノンの「イマジン」という曲も同じことを言ってくれてます↓

「想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって…

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ

想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって…

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ」

 

ちょっと哲学的な話入りますが、

そう考えると、あらゆる全ての存在が、あらゆる全てに対して何かしらの影響を与えているんだな、っていう当たり前に思えるけどすごいことなんだなという実感に繋がります。

 

あらゆる事象に対しての「大きい」とか「小さい」とかいう概念も、本当は私達「人間」という一つの生き物の、一つの解釈に過ぎなくて、本当はその概念を超えた人にとっては、マイケルやジョンみたいにすごいと思えるような影響力も、当たり前のように発揮できるようになるのかもしれませんね。

 

マイケルやジョンはそれを本当の意味で心から「当たり前」のように解釈できていたからこそ、大多数の「普通の人」と呼ばれる私たち人間が解釈する「大きい影響力」というものすらも、「当たり前」のように発揮できていたのでしょうか。。

 

 

…………?

 

 

 

でもいつか、「マイケルやジョンにとっての当たり前」が世界に拡がって、「みんなの当たり前」になるかもしれませんね。

そしたら、当たり前に他人を尊重できたり、「違うこと」に対して傷つけあったり争い合ったりするのではなく、「自他が違うことは当たり前」って理解し合えた上で、そしてそれまでの争いや痛みも含めて、「過去」も当たり前に分かち合える。

そんなあったかい世の中、想像するだけでも癒やされます。

 

 

難しいかもしれないけど、諦めねェど根性でそれを信じ続けたいと想います。

まぁまたブレる時もあるんでしょうけど、、

でも死ぬまでそれを諦めなければチャンスは0にはならないですよね。

信じてたら、小さな事でもそういう行動を取れる瞬間が、自分の世界にはたしかに生まれていきますよね。

 

マイケルやジョンはそれを口だけではなく行動で示し続けたからこその影響力ですよね。

それが一生の課題ですねー。。

 

 

でも、あらゆる全ての存在が互いに影響しあっているのなら、私はなるべく少しでも「あったかい影響」を増やしていきたいです。

 

そのためにもまずは、闇についても向き合う時間が絶対に避けられないですし、それは肌断食の初期の荒れとも繋がりますし、失恋して病む時期を経るからこそ大きく一歩進めることとも同じ、向き合いたくない問題にぶつかってからじゃないと、本当の意味でもあったかい世界には、たどり着けないんだと思います。

闇に蓋して見て見ぬ振りしたままでたどり着けるのは、「虚構のあたたかさ」や「偽りの愛」だけですよね。

ナルトが真実の滝の前で「闇の自分」と向き合って、闇も自分の大事な一部だと認めてから本当の強さを知ることができた、それと同じように、ひとりひとりがみんなそれぞれの「自分の中の闇」に向き合って認めた上で初めて、本当のあったかい気持ちを知ることができるし、それによってひとりずつ一歩ずつ、地球が「あったかい場所」に近づいていくんだと想っています。

 

だから私はこれからもこのブログで「世界の闇の事実」も拡げます。

 

 

その上で、「あったかい影響」も強く与えてきたいです。

 

あなたにとってこの記事が「さむい影響」になっていないことを願いながら終わります…。は?

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

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