殴り書きと風景写真

鎌倉

実家に帰ったときの夜散歩

実家に引きこもって鬱々としていたとき、何度も何度も見た景色です。

なんの変哲もない風景ですけど、自分にとってはすげー想いの詰まった眺めです。

断食でヘロヘロになりながら歩いたり、抜け出したくて仕方なかった実家での葛藤の中、何度も何度も一人で寂しく歩いた道です。

自分にとって特別な神社です。

エンキとエンリルという勝手に名付けた二匹の猫ちゃんがいる神社でした。

身体の痛みに向き合いながら、いつになったらまともに走れるんだ、とモヤモヤしながらも、走ったり歩いたり休んだりの繰り返しでした。

でも、今振り返ると、毎月少しずつ、本当に少しずつですけど良くなっていたんだなと思います。

人身事故で1駅分1時間歩いた時に見た景色

歩いたからこそ見れた景色に感動するとともに、人身事故で一人の人生が終わったんだなっていう悲しさとの矛盾した感情でした。

一人一人見えてる景色は違うし、たとえ見てるものが同じだとしても、見え方や感じ方は人それぞれほんとに千差万別ですよね。

晴れの日もあれば、雨や曇りの日もあるように、人の気持ちにだって、明るいときや暗いときがある。

 

そりゃ長い人生のなかにも、挫折したり闇に満ちた日々もあるかもしれない。

けど、それもかけがえのない「今」だと思いたいです。

 

「今」の自分は、自分のありのままの気持ちをさらけ出せないでいます。

 

理由はいろいろあるけど、いろんなことに後悔している気持ちがあったり、その気持ちを隠すように、気持ちを紛らわすように楽しいと思えることで本音に蓋をしているような感じですね。

 

人に言いたくもないし、知られたくもないし、気づかれたくもないし、関わりたくもなくなる。

自分の気持を理解できる人なんていないんだろうなって思うとすごく悲しく寂しくなったりします。

 

自分のブログを知り合いに見せなければよかったと、死ぬほど後悔したりしてます。

そのせいで、自分の書きたい本当の気持ちを出せないでいます。

でも、それもすべては自分自身のせいであり、誰のせいにもできない。

だからこそ、すごく嫌になってきたりします。

 

別に誰かに心配して欲しいからとか、誰かに同情して欲しいから書いているとかじゃなく、ただ書かずにはいられないし、書くことで、いつか誰かの人生の中の一瞬の気付きに繋がる瞬間があるかもしれない。だから書くということは無駄にはならないと思ってるんです。

 

今までもそうやって葛藤しながらも、一歩ずつ進んできたんだけれど、くだらないプライドが邪魔して、勝手に一人で自分で自分を追い込んでいるような気もします。

 

考えれば考えるほど、人と関わるのが嫌になってきたり、反対に人と関われば関わるほど、いつか来る別れや裏切りや悲しみを恐れて自分から人を遠ざけてしまったり、

かと思えば気分がいいときは人と話してみたりして、いい人もいれば嫌な人もいるんだなって改めて感じたり。。

 

でも、自分が嫌に感じる他人の部分って、全部自分の一面を映し出している鏡なんですよね。

自分の中にあるものを相手が見せてくれているだけだし、自分が見ようとしない限り決して見えない部分なんですよね。

 

その環境にいるのも自分の選択だし、その人間関係を作り出したのも、その人のせいではなく全て100%自分の選択の結果なんですよね。

 

相手が自分に攻撃してきているように感じても、それは実は自分で自分を攻撃していることと同じなんですよね。

 

これは極論ですけど、

例え「殺された」という事象に直面したとしても、その事象に「意味」を見出すのは全て自分であり、良い悪いの概念も、今までの人生の中で外から植え付けられた概念であったり、外から教えられたり外のことを真似たり、それが当たり前や常識だと思いこんでいるだけかもしれませんよね。

 

激しい痛みであっても、その痛みにすら意味をつけるのは自分自身の意識でしかないですよね。

 

それは「死」においても同じで、「死」を「悪いもの」や「全ての終わり」だと認識しているのは、人間の文化や教育や社会という「常識」の範疇でしかないということです。死んでみなけりゃわからないけど、本当は「人間の死」なんていう事象は、永遠に続く宇宙規模の概念から見たら、めちゃくちゃな一瞬に過ぎない出来事ですよね。

 

それでも「一生」という人間の人生を、今の時代の流れや考え方、今の時代の「常識」のなかで、必死に一歩ずつ生きていく、1つのちっぽけでありつつとても壮大でエキサイティングなリアル体験型ゲームを、地球にプレイしに来ているのかもしれません(??)

 

本当はこの世界、自分が今見ている世界は、すべて自分の内側にあるものをとてつもなくリアルに映し出しているマトリックスのような世界なのかもしれませんし、そうでないかもしれません。

 

・・・急によくわからない話になってしまいました。

普段常にこういうことばっか考えてます。笑

 

 

よくわからない気持ちのモヤモヤが常にありますが、とりあえず死ななければどうにかなるんじゃないかなと思ってます。

なるようになるんじゃないかと。

そして、そんなに考えすぎなくてもいいし、考えてもいいし、どっちでもいいんじゃないかと。

 

とにかく、

ブログに好きなように気持ちを殴り書きするのって、セルフカウンセリングになるんですよね。ほんとに。

 

文字にするだけですごく客観的に自分の気持を整理できて、スッキリするんです。

それが例え、どす黒い闇に満ちた文章であっても。

 

まず書くことが大事なのに、最近は色んなことから目を背けるように生活していました。

それも悪いことではないんだろうけど、複雑な気持ちに蓋をしていました。

江ノ島

↑バイクの免許を取り、初めて公道をかっ飛ばして来た江ノ島でした。

まだまだ経験したいことがたくさんあるけど、その前に色んなモヤモヤを整理しないとな・・・

 

自分の中のとてつもない闇

両親の闇を受け入れて感謝しているつもりでいても、本音はまだまだ受け入れられていない自分がいます。

 

きっと、両親に対して死ぬほど嫌だなと感じる部分を、本当の意味で受け入れることができなければ、自分は一生他人と深く関わることはないのだと思ってます。

両親のことを否定すればするほど、自分のことを否定しているようで、本気で消えてなくなりたいような気持ちになります。

 

両親の喧嘩を見るたびに、本当にどうしようもないくらい悲しい気持ちになります。

 

両親の姿を見るたびに、それらは全て自分の中にもあるものだと感じてしまいます。

 

両親の嫌な部分を見たとき、それは過去の自分にもあった一面だとハッキリわかります。

 

 

だからこそ、どうしようもなく辛くて、なにもしたくなくなって、直視したくなくなって、誰も信じたくなくなって、

 

自分が人と深く関わると、最初は上手く行ってても、いつか絶対に崩れ去るように思えて、絶対にありのままを出せなくなります。

 

「嫌われたくない」とか「よく思われたい」とか、そういう嘘ついた自分でいるから、周りも嘘つくような関係を引き寄せているのかもしれません。

でも、自分でもどうすればいいのかわからなくなるんです。

 

そういう両親が当たり前だと思って生きてきたし、それが自分の家族なんだって。

 

こういうことを書いて、知り合いに見られているとして、

同情されるのも嫌だし、気を遣われるのも嫌だし、気にしていないようなフリをされるのも嫌だし、気づいているくせに知らないふりして心の中では見下されてるんじゃないかとか思ったりもします。

そういう闇が押し寄せてきます。

 

だから過去の人間関係と関わりたくないし、この先一生会わなくてもいいと思ってもいます。

 

それほど自分の中では過去の自分と決別して一人で生きて行かなければいけないと、そう思ってしまうほど、自分の家族の状態はコンプレックスのようなものになって、心の奥の闇になっています。

 

 

「人から愛されたかったら、自分から愛すしかない。」

だれかが言っていた言葉ですが、ほんとにその通りだなって思います。

待っていても、文句を言っていても、逃げても、見て見ぬふりしていても、状況は変わらないし、誰も助けてくれないでしょう。

自分が与えたエネルギーは、自分に全て返ってくる。

 

 

だから、一歩ずつでいいから自分の好きなことやワクワクする未来に向かって進むしかないですね。

なるべく人を信じたい。

裏切られても、笑われても、バカにされても、なるべく人を信じたい。

嘘でもいいからそうやって少しずつ自分を変えて行きたい。

 

だからといって理不尽な人や、

親切心につけ入って他人を利用しようとする人や、

自分の不幸を他人に押し付けて邪魔してくるような人には、ハッキリNOを言えるようになりたい。

 

でも、やっぱりみんな本当は優しい心を絶対に持ってる。

元から嫌な奴なんて、いないと信じたい。

嫌なことに蓋をして無視し続けて来たから、上手く行っている他人の足を引っ張りたくなったり邪魔したくなったりすることもあるのかもしれない。

 

きっと誰しもにそういう一面もあるはず。

でも、だからといってそこに甘んじるのが正解なのか間違いなのか、それは自分しだいですよね。

 

だからこそ、どうせ生きるなら一度きりの人生、

誰かの足を引っ張るんじゃなくて、一人でも多くの誰かの背中をそっと押してあげられるような人生にしていけたら後悔しないはず。

 

 

 

 

「今」を一歩ずつで、いつか心の底から笑おうぜ。

 

 

 

長くなりましたが、今日も生きてました。

お読みいただいていただいてありがとうございました。

 



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