【さらけ出し】高校卒業アルバムを見て想ったこと。汚肌ブログのルーツ。

こんばんは、チッターです。

今日は、ふと高校の卒業アルバムを見てみました。

 

今(2018年6月)の一見暗いオーラぷんぷんな自分とは、かなりかけ離れたキラキラした生活を送れていたんだなと想ったと同時に、懐かしくもあり、悲しくもあり、確実に自分は変わったんだなと想いました。

 

でも、変わったんですけど、高校のときの時の自分も紛れもなく自分だったし、今の自分も紛れもなく自分です。

当たり前ですが、今だけが「ありのままの自分」なわけでもなく、高校当時も精一杯の「ありのままの自分」だったと想うんです。

 

卒アルを見ていると、今の自分がだいぶダサくなったように感じる気持ちもあります。

でも、それと同時に、今の自分は「弱さ」をさらけ出せていることも実感できます。

 

当時は少し無理して笑っていた感もあります。

もちろん仲間との日々は本当に楽しかったし、今でも大事な想い出です。

でも、楽しければ楽しいほど、自分自身の「嫌いな部分」が邪魔をしてきて、やっぱり心の底から思いっきり笑えていた頃よりは、確実に無理をして自分を明るく振る舞っていた気がします。

 

ずっとモヤモヤする感情が心の奥にありました。

 

「なんで自分だけこんな肌が荒れているんだ?」

「洗顔とかしたらキレイになるんじゃないの?」

「いったい何をしたら肌荒れって治るの?」

「でも、気にしない気にしない。」

「洗顔と化粧水とかきちんと毎日すれば、いつか良くなるっしょ!」

 

「でもやっぱり日に日に肌が悪くなる一方で、何をしたらいいのかわからない・・・」

 

部活に集中している時は、忘れられますが、やっぱり我に返るといつも自分の心の底には「汚肌」がつきまとってきました。

どうすれば良いのかわからないから、余計やけくそで化粧品を使い続けていたと想います。

 

でも、やっぱりその行動の積み重ねが、確実に肌にダメージを蓄積してたことに他なりませんでした。

 

汚肌に悩みながらも、それを隠しつつ、認めたくない自分もいて、ひたすらモヤモヤした感情を排除して、自分の本当の心を抑え込んで生きていました。

「汚肌さえ治れば俺は最強だ。」

「肌がキレイになれば俺は完璧なんだ。」

そんな”驕り”にも似た感情もありつつ、いつまでたっても肌は綺麗になるどころか、どんどん汚肌になって行きました。

 

おそらく、その”驕り”こそが「化粧品依存」を辞められない原因でした。

 

結局そのモヤモヤは大学4年までずっっと続きました。

ずっと心の奥にモヤモヤした感情を抱きながら、多分寝ている時間すらもモヤモヤした気持ちがあったような記憶があります。

 

それだけ私は自分の容姿を過剰に気にし、自分の本当の姿に向き合うことに抵抗があったんです。

 

「こんな姿は自分じゃない。」

「自分はもっと強いんだ。」

「弱さを見せたら必ず舐められてしまうぞ。」

「強い自分でなきゃみんなは自分を嫌いになってしまう・・・」

 

こういった感情からずっと離れられずにいました。

汚肌だけど、化粧品を使えばなんとか肌荒れを一時的に隠せて、ギリギリの清潔感を保てる状態。

 

だからこそ、ずっと化粧品を使わずにはいられなかったんです。

 

中2からずっと化粧品を使うのが当たり前な生活スタイルになっていき、高校でもそれは変わらず、、

でもその習慣こそが、確実に肌にダメージをゆっくりと蓄積させ、確実にモヤモヤの原因になっていたんです。

 

「弱さ」を見せたら嫌われると想っていました。

「弱さ」をさらけ出したら自分なんて価値のない人間になってしまうと想っていました。

 

だから、ずっとモヤモヤを抑え込んで、無理やり見ないようにして生きていました。

でも、そうやっている内に、本当の自分の「ありのまま」な生き方や振る舞いがわからなくなってしまいました。

 

そんな肌の悩みのモヤモヤにも慣れ、すっかり嘘つきな自分で大学生活がスタートし、部活でも本当の自分が出せないまま過ごし続け、それでも上手くやり過ごし、モヤモヤを抱えながら4年まで、、

 

そして、

そういう自分を偽り抑え込む生き方が「当たり前」だと思いこんでいたからでしょうか。

肌だけじゃ収まらず、身体もおかしくなっていきました。

 

無理するのが当たり前だと思いこんでいましたから、怪我をしまくりました。

疲労も回復せず、無理を続け、肌の悩みを振り切るように、トレーニングに没頭しました。

 

その結果、腰を壊し、肉離れしました。

それでも無理してトレーニングがやめられずに、深刻な歪みや後遺症を生み出してしまいました。

 

ゆっくりじっくり身体を痛めつけ、それでも無理をやめられず、ひたすら自分の体と心の悲鳴に無視し続けました。

 

そしたら気がついたら、

そこには「自殺」すら考えるほど鬱々とした、本当に醜い自分の姿がありました。

 

自分の不幸を他人のせいにし、周りのせいにし、親のせいにし、仲間のせいにし、監督のせいにし、すべて外側に原因を見出し続けてきた結果でした・・・

 

本当は、全部自分の中にあったのに。

本当の原因は、真の答えは、全部自分自身の内側にずっとあったのに。

 

ずっと自分を痛めつけ、無視し、雑に扱い、強く偽り、嘘をつき続けていました。

 

全部が自分自身の「行動の結果」だったのに、どうしてもそれを認めることができなかったんです。

どうしても自分の「弱さ」を許せなかったんです。

 

それに加えて、両親の仲はとても悪くて、ボロボロの自分に追い打ちをかけるように、色んな深刻な問題も降り掛かってきました。

その問題も、もちろんとても耐えられるような内容ではないです。

 

生きる希望すら、幸せの意味すらわからなくなるような、そんな大人の醜い事情が私の心に襲いかかってきました。

 

 

もう本当に無理でした。

本当に終わりにしたかったです。

 

「死んで逃げるか、生きて進むか。」

 

自分自身の心体が我慢の限界を越え、その究極の選択を強いられて、ひたすら悩みました。

 

それでも自分には死ぬ勇気なんてなかったし、死ぬ方法を考える気力すらもなかったです。

 

悔しくて悔しくて、悲しくて、どうしようもなくて、ひたすら部屋で1人で泣く日が続きました。

汚肌のモヤモヤ、身体の痛み、家族の闇。

ひたすら向き合いました。

 

嫌な部分こそ、見たくない部分こそ、弱い自分にこそ向き合いました。

 

そしてそこから、全部さらけ出そうと決めました。

もう自分自身に嘘をつくことから離れようと決めました。

 

ひたすら自分の「ありのまま」の気持ちを大事にしようと想いました。

 

一度「死」を意識した人生。

でも、「もう一度新たな自分として生きていきたい」と心の底から本気で想いました。

 

ブレる原因になっていた人間関係を一度ほぼ全て捨て、ひたすら「自分」にだけ意識して再出発しました。

 

そこで始まったのがこの「汚肌ブログ」でした。

 

多分、高校の友だちがこのブログを見たらビックリすると想う。

「あんな調子こいてた奴が今これかよ、ざまあw」なんて想うやつは多分いないと信じたいけど、想われても仕方ない変貌ぶりなのかも・・・笑

 

でも、高校のやつら、みんな本当にイイヤツばかりでした。

自分は除いたとしても、ある程度偏差値あって頭良い人ばかりだったから、みんな大人だったと想うな。

もしかしたら私が無理して頑張っちゃっていることも、気付いていた人もいたかもしれない。

いや、人はそもそもそんなに他人のことに興味ないか。笑

 

唯一このブログを見せた親友すらも、「そんなに悩んでいたなんて気が付かなかった」と言っていましたしね。笑

自分が気にしすぎな部分もあるし、だからこそ自分だけが譲れない部分もあったのだと想います。

だから絶対に気づかれたくなかったし、気を使わせたくもなかったんだと想います。

 

でもそれも今となってはもうやめです。

自分の弱さも醜さも嫌いな部分も、全部さらけ出してしまったし、今はブログでありのままを吐き出せるのがとにかく楽です。

 

こういう吐き出す記事だと、つい時間を忘れて夢中になってしまいます。

他の人にとっては多分どうでもいい情報だと想いますけど、たまにはこうやって自分の本心をさらけ出すのが心地良いんですよー。笑

 

本名も顔も出しているので、いずれ1人くらいには知り合いに読まれるであろうということはわかっています。

でもぶっちゃけ怖いし、嫌だし、不安ですし、気まずいですし、ドン引きされるの嫌です。

 

でもそれ以上に、このブログで誰かの役に立てる未来にワクワクしてます。

だからこれからも、怖いからこそ、不安だからこそ、自信ないからこそ、全部さらけ出します。多分。笑

 

みんなもみんなできっと強く生きていると想います。

きっと就活や苦しい社会人生活や人間関係もあると想います。

 

でも、だからといって自分がみんなと同じ生き方やレールに乗らなければいけないなんて常識は、ただの「世間体」という空気に依存した生き方。

 

それで上手くやれる人はそのままで素晴らしいし、どんな人の生き方にも間違いや正解なんてものはない。

 

でも、自分の弱さをさらけ出す生き方は、どうしても社会の見えない常識とは正反対の生き方になってしまう。

それでも自分はずっと、こっそりとでいいから誰かのために生きていければそれだけで幸せだと信じたいです。

 

無理して我慢して生き続けるのに疲れたなら、自分で自分の弱さを許してあげればいいと想いたいです。

それで他人に否定されようが、笑われようが、反対されようが、犯罪や迷惑でもない限りほっとけばいい。

 

自分だけの生き方に型なんてないし、すべては自由だから。

 

まずは自分自身を許し認め、幸せになっていけば、自然と周りの人にも自分なりの「愛」を拡げられるんだと想います。

 

卒アルのキラキラした自分も今の一見暗い自分も、全部があっていいし、全部があったからこそ「今」の自分がいる。

だからこれからも、どれだけ迷ってもブレても醜くてもいいから、とにかく「今」のありのままの自分をさらけ出して進めばいい。

 

黒歴史を恐れて自分の本心に嘘つくより、笑われてもドン引きされてもいいから、とにかくありのままの自分で進んで行きたいです!

 

それが「ありのままの生き様」であり、いつかの「ありのままの死に様」に繋がるのだと想います。

 

 

それに、「いつでも会える人間関係」だけが「友」ではないはず。

キングダムハーツ2よりハイネの名言です。

「大切なのはみんなで何回会うかじゃなくて、みんなを何回思うか これだ。」

「いつまでも一緒にはいられない、思い出たくさん作っとかないとな。」byハイネ

 

 

お読み頂いてありがとうございました。

 



  5mail

 

  5mail

 

  5mail

 

  5mail

 

  5mail

 

  5mail

 

スポンサーリンク

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る