【NARUTO哲学】うちはサスケ編

~うちはサスケの哲学~

(※以下ネタバレ注意)

 

 

 

サスケは小さなころ、元々とっても愛情深い男の子でしたよね。

 

しかしその愛情深さゆえ、一族が兄のイタチの手によって突然皆殺しにされてしまってからは、その愛情は全て憎しみに変わってしまいました。

 

本当は家族と愛に満ちた人生を生きたかったのに、大人たちのドロドロした醜い権力争いや国同士の争いによって、小さなサスケの人生は一夜にして、地獄にも想えるようなものに変わってしまいました。

 

時代の被害者ともいうべき悲惨な境遇。

それからは復讐だけを生きる目的として生きて行きました。

 

自分だけ家族がいない。

自分だけひとりぼっち。

自分だけもうなにもない。

 

そんな中でナルトの中にある自分と似た境遇に、少し安心していた所もありました。

 

第7班でナルトサクラカカシと時を共に過ごしていく内に、「つながり」を実感できてもいました。

 

でも、復讐のためには、その「つながり」が重荷になってしまうんですよね。

かつての一族の古い「つながり」を忘れることはできないからこそ、今の新たな「つながり」を断ち切ることでそれは「強い力」になると想ったのでしょう。

 

何かを得るには、何かを捨てなければならない。

 

サスケだって、復讐がなんの役にもたたない、なんの解決にもならないことくらい、自分が1番わかっていたはずです。

でも、どうしても忘れられない想い出や、家族との大切な日々を想えば想うほど、やはりすべてが許せなくなってしまうんだと想うんです。

 

 

本当はイタチの行動もすべてが里や弟を守るための「決意」だったのに、、

本当に1番辛いのは、イタチだったはずです。

でも、イタチは大事なたった1人の弟であるサスケに、恨まれて憎まれて殺されてまで、「守らねばならないもの」がありました。

 

きっとこの「うちは兄弟の悲しき物語」は、現実世界にも投影できる話だと想います。

 

 

目に見える世界だけが全てではない・・・。

 

イタチは言いました。

「人は誰もが己の知識や認識に頼り
縛られ 生きている
それを現実という名で呼んでな

しかし知識や認識とは曖昧なモノだ
その現実は幻かもしれない

人は皆 思い込みの中で生きている
そうは考えられないか?」

 

おまけ

小学生の時、友達と「千鳥ぃ!!!」とか「螺旋丸っ!!!」とかやりまくってました。

アニメのOPでFLOWの「GO!!」を聴いた時、もうめっっっちゃくちゃワクワクした記憶があります。

当時ビデオテープに録画して、GOだけやたらリピートして聴きまくって覚えて、学校で友達とひたすら歌ってました。w

NARUTOの歌とか聴いただけでその当時の記憶が鮮明に蘇りますよねー。。

 

 

お読み頂いてありがとうございました。

 

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