自分を追い込み続ける我慢の生活から自分らしく生きる決意をした訳

はじめまして!

私の名前は、チッターといいます。

 

ネガティブで汚肌で引きこもりです。

 

「好き」は、

・スポーツ

・YouTube

・映画

・ゲーム

・音楽(特に高橋優)

・猫

・漫画アニメ(特にNARUTO)

・食べること

・ブログで想いを書き殴ること

です。

 

「嫌い」は、

・「優れた人にならなければいけない社会」

・「愛想笑い」

・「権利や金にしがみつく汚ねぇ大人たち」

・「嘘で固められた常識」

・「嫌いなひとと過ごす時間」

・「枠にはめる教育」

・「世間体に縛られた考え方」

です。

 

一時期は筋トレオタクでした。

元々はポジティブで明るくて誰にでも人当たりの良い性格でした。

そして大学卒業まで表面上では順風満帆な割とリア充人生を生きていました。

 

 

・・・ではなぜ、そんな私が引きこもりになったのか。

なぜ、自殺を考えるほどネガティブになったのか。

 

その理由について、

この記事では、以下長々と詳しく掘り下げていますので、お時間があるときにでものんびりと読んでいってくれたらとても嬉しいです。

(超絶自分語りをお許し下さい。)

私の引きこもった理由

小さい頃からスポーツが大好きで、運動神経にだけは自信がありました。

小学校ではソフトボール。中学では野球部でした。

 

そして、中学の時に初めて「ハンドボール」というスポーツと出会いました。

体育の授業だったのですが、ハンドボールを初めて体験したとき、衝撃でした。。

 

走って、跳んで、投げて、相手と激しくぶつかって、シュートを決める。

「こんなに爽快感のあるスポーツがあったのか!」と思いました。

 

自分の得意な要素が全て詰まった、夢のようなスポーツでした。

 

中学の野球部の顧問が偶然ハンドボールの元日本代表選手だったのです。

それも大きく影響して、中学を卒業したら、地元のハンドボール部のある高校へ進学しました。

高校から踏み入れたハンドボール人生

私は頭が弱かったので、親に半強制的に塾に通わせてもらいながら、自分なりに努力してなんとかその高校へ合格出来ました。

点数の順位は下から数えたらすぐだったと思います。(笑)

 

私は、ワクワクする夢の高校生活が始まると、調子に乗りまくりました。笑

まず入学してすぐ、割りとモテる部類で軽く有名になり、超天狗になって髪を染めるんです。

 

ハンドボール部の顧問は厳しいことで有名でしたが、そこそこの進学校ということで、真面目で気が弱い生徒が多く、顧問も半ば諦め状態でゆるい指導をしていました。

校則的にも1年の時は髪を染めるのも自由というゆるい決まりの高校でしたので、部活でも始めの方は、髪を染めてもOKというルールだったのです。

 

でも、私達1年生のポテンシャルがかなり高いことに気がついた顧問は、だんだんその方針を厳しいものに変えようとしていきました。

 

そして、私はその顧問と激しくぶつかり、一度は部活を辞めて遊びに走ろうとしました。

けど結局は親友たちの引き止めもあって、仲間のためにもう一度頑張ろうと決意し、真面目に部活に本気で取り組むようになりました。

 

するとチームの底力はどんどん上がっていき、一年生のときにはボコボコにされていた他校にも、普通に勝てるくらいに成長しました。

 

そして、結局は強豪校に負けて引退して燃え尽きるのですが、私は顧問にその伸びしろを買われ、スポーツ推薦という進路を提案していただきました。

頭も弱かったし、勉強もまるで手についていなかった私は、すぐにその道に惹かれました。

というか学業の成績の悪い私は、その道を進まざるを得ませんでした。笑

(結果的には、その道を歩むことでかけがえのないたくさんの経験をさせて頂いて、今も本当に感謝しています。)

肌の悩みを見て見ぬふりする毎日

そして、肌の事ですが、

私は中学生から徐々にスキンケアオタクになり始め、高校の卒業式くらいには、超敏感肌でニキビもあり、肌が赤黒くて汚肌になってしまっていました・・・。

部活をしていたときは、外部活だったので、重く日焼けをした肌に男性用の刺激の強い洗顔料や化粧水、乳液などをわけもわからずつけ続けていました。

 

そのせいで、私の肌は気がついたら相当なダメージを重ねてしまっていました。。

 

モヤモヤの中、嫌々続けなくてはいけなかった部活生活

・・・そして、

その肌の悩みも心の底に抱えながら、

いよいよ地獄のハンドボール漬け4年間の大学生活が始まりました。

 

まず大学の入学前に強化合宿に参加しなくてはいけなくて、1人で孤独にいきなり知らない先輩たちと一緒に4日間も過ごさなきゃいけなかったんです。

 

ちなみにその当時、大学のハンド部は関東1部のリーグに所属していました。

関東のハンドボールリーグは、1~7部までリーグがあって、その一番レベルの高いリーグだったのです。。笑

 

私が高校の顧問から推薦のお話を頂いた頃はまだ2部だったので、レベルは最高峰というわけではなく、大学の顧問も伸び伸びと優しい環境でプレーさせてくれるものだと勝手に勘違いしていました。笑

 

でも、入ってみたら全然違いました。。

 

めっちゃくちゃ厳しい!!

監督が恐ろしい!!

高校の顧問も怖かったけど、大学の顧問は、もっと違う恐ろしさを持った人でした。笑

 

一年生の私は常に緊張感を漂わせていなければならないような、そんな雰囲気のお方でした・・・。

先輩方は伸び伸びプレーをしていましたけど、私はその状況がストレスすぎてずっと超ビクビクしてました。

 

まあそれも一部に昇格したチームの監督なので、仕方なかったのだと思います。

監督も本気で熱意のあるお人だったのは間違いないです。

 

でも、当時の高校上がりの私には、ちゃんと心の準備ができていないまま、そんな入学前の冬の強化合宿に駆り出されました。。

 

その前にも練習に何度か参加はしていたものの、そんなに会話もするわけでもなかったので、ほぼ投げ出されて大学生の本格的な合宿に駆り出されました。笑

人見知りなので、先輩たちのまえではめちゃくちゃ暗かったイメージだったと思います・・・。

 

それでも、入学して同じ1年生の仲間ができて、精一杯に毎日の練習や試合や合宿を乗り越えて行きました。

大学の授業も辛かったですし、なにより当時付き合っていた彼女との関係にも、とても悩まされていた時期でした。

女性との関係

高校卒業間近に付き合った彼女がいたのですが、

付き合ったキッカケは追われる立場だったのに、いつしか、超追う立場に逆転していきましたね。

 

彼女は普通の大学キャンパスライフを楽しんでいて男性とも普通に遊んでしまう人でしたので、

・厳しい部活

・大学の授業

・酷い汚肌

という「地獄の三種の神器」を背負っていた私は、どんどんと嫉妬に支配された毎日に陥っていきました。。

 

授業を受けていても、自分の汚い肌が気になって、すべてのことに集中できない状態でした。

部活中も、肌が汚い自分をどうにか忘れながら努力して見て見ぬふりをしていました。

 

そんな毎日にも、2年生になってからは、少し変化がありました。

部活の監督が急遽変わったのです。

理由は詳しく言えないのですが、とにかく私にとって地獄でしかなかった環境は、2年生になって少しだけ和らいだんです。

 

彼女との関係も、我慢できなくなって、自分から別れを告げました。

それまでの人生で、こんなに好きになった人はいない、というほど好きだった女性でした。

本気で結婚すると思っていた程でしたから、相当好きだったんだと思います。

 

でも、その好きっていう気持ちは、純粋な好きだけではなかったと今では思います。

その好きの中には、「依存」がとても多く含まれていたんです。

 

肌が汚い自分と付き合ってくれていたのは、本当に心の拠り所だったので、その拠り所に私はのめり込んで、偏った歪んだ愛の気持ちが生まれていたんです。

 

でも、そんな自分ではその彼女のためにもならないし、

なにより自分のためにもならないと思って、本当に辛かったのですが自分から離れようと決意して、無理やり依存の繋がりを断ち切りました。。

 

そして、しばらくは未練タラタラだった私でしたが、部活と授業の毎日に再び没頭し、気が付いたら、依存から脱出出来ていました。

あれだけ「いなきゃやってけない」と思っていた彼女のことも、時間が経ってからは、客観的に「依存しまくっていた」と認識できるようになり、自立し始めた自分を感じられるようになっていました。

 

そのときには絶対だと思いこんでいたことが、時間が経ってみたら、自分の中でなんにも重要じゃない事象に変わっていたんです・・・。

(人間てホントおもしろいですよねー・・・笑)

化粧品でのスキンケアの矛盾

そして、大学3年には、そういったストレスから少し解放されたからか、

肌の荒れを「隠す」スキルが身に付いて、少し大学生活を楽しんでいる自分がいました。

 

しかし、化粧品の力によって最低限の見た目を保てるようになっていたものの、根本的な肌のダメージは、その当時も確実に蓄積されていました。

 

その「化粧品によって得ることができる一時的な見た目のキレイさ」は、長くは続きませんでした。

 

4年になって、敏感肌や乾燥肌がひどくなっていき、見て見ぬふりできない状態になっていました。

化粧品で隠し続けてきた乾燥や敏感さが、みるみる表に現れてきたんですね・・・。

無理や我慢で乗り切ろうとした部活引退間際

そして、その時は、4年という最上級生として、部活の引退の時期でした。

肌のことに一喜一憂しながらも、引退に向けて、なんとか部活に集中しようと自分の悩みを隠して生きていました。

 

1年の時から公式戦のシーズン前に限ってケガをしてしまって、4年まで満足に活躍できていなかった私は、4年になって強化期間の時期にめちゃくちゃ自主練したのです。

 

部活がオフの日にも1人で走りまくりました。

筋トレも毎日鬼のように自分を追い込んで、めちゃくちゃ影で努力したんです。

 

でも、そんな偏った無理や負担は、身体にモロにダメージを与えてしまっていました。

強化期間の疲労をろくに回復もしないまま、練習試合に臨んだ結果、「肉離れ」をしてしまったのです。

それはきっと、それまでめちゃくちゃ我慢していた「酷い腰痛」を庇いながらの無理な追い込みが原因でした。

 

長距離競争でも、チーム内で2位というところまで成長していました。

筋力でもチーム内でトップレベルにまでのし上がっていました。

 

でも、一瞬で崩れ去ったんです。

 

無理しているとわかっていてもやめられなかった自分・・・

無理して手に入れた力は、実際はめちゃくちゃ脆いんです。

「諸刃の剣」とはまさにこのことですね。笑

 

そこからは、努力が水の泡になり、わけがわからなくなりました。

自分では正解だと思って頑張っていた行動が、自分をどん底に突き落とすことになったんです。

 

・・・それでも、私は最後まで諦めませんでした。

引退が迫った時期まで筋トレしまくり、なんとかケガを庇いながらプレーし続けました。

 

でも結局、引退試合には一秒も出られずに終わりました。

私の短いハンドボール人生は、儚く幕を閉じました。。

 

身体を使った泥臭いプレーが持ち味だったので、ケガを庇いながらの私では、全く使い物にならなかったのです。

 

 

全部自分の責任です。

全部自分の行動の積み重ねが招いた結果です。

 

そう、バカなんです私。

後先考えずに突っ走ってしまう性格なんです。

「猪突猛進」なんです。笑

 

後悔しました。くそ自己否定しました。

自分はなんてダメな男なんだと、自分を責めちぎりました。。

 

ほんと、それから醜い顔になっていきました。。

 

しばらくは他人のせいにしたり、友だちのせいにしたり、仲間のせいにしたり、監督のせいにしたり、親のせいにしたり、、、

 

 

でも、何度も言いますが、全部自分の責任です。

自分自身の行動の結果だったんです。

死ぬまで自分を抑え込んで無理し続ける奴隷社会人へ・・・?

それでも大学4年ですから、就職のことも考えなくてはいけません。

でも、私には「見て見ぬふりを継続する人生」しか残っていませんでした・・・。

 

偏差値の低い大学。

部活を引退し、自己否定の毎日で、コミュ障もこじらせ、、

就職先なんて公務員になるくらいしかもう自分が輝ける道はないと思いこんでいました。

 

消防士です。

 

その当時、ちょうど兄が消防士に合格したのもあり、わたしにはもう消防士になる道しかないと思い込みました。

 

でも、本心は「ほんとはやりたくない」という気持ちだったと思います。

 

それは、親の期待や、世間体、周りの友だちからの評価や目線。

そんな外の事象に依存しまくっていたことの証拠でした・・・

 

それでも、消防士の道以外を見ないようにして、「絶対になってやるんだという自分」になりきって、実家に引きこもって、日々の公務員試験勉強をしていました。

 

でも、ぜんっぜん身が入らなかったんです。。

当たり前ですよね。

 

ほんとはそんな厳しいことやりたくないんだもの。

 

休みたいんだもの。

 

身体のケガもぜんっぜん治りきっていないのに、

「その状態でも無理して一生筋トレを続けなければいけない人生」が目の前には待っていたんだもの・・・。

 

そんな矛盾した毎日に、私はついに我慢できなくなりました。。

 

ちらつく「死」

「もう無理だ。」

「もう我慢出来ない・・・。」

 

 

肌も人生で一番汚かったし、腰痛も深刻で、肉離れの後遺症もあったんです。。

 

もう無理でした。

だから、引きこもって、毎日毎日、何秒も、何十分も、何時間も、、

ひたすらネガティブな自分の声に耳を傾けてみました・・・。

 

 

 

そして、ある時、、

 

 

 

 

 

 

 

 

「死のう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・ふと、そう思ったんです。

人が自殺するときって、きっと重い決意なんてものはないんですよね。

 

もう、考えるのもめんどくさいというか、

これから何をしようかと考える時間もめんどくさいというか、

一瞬で楽になりたい、っていう感じになったんですよね・・・。

 

だって、寝てるだけでも腰が尋常じゃないくらい痛むし、

座ってても痛い。立ってても痛い。動くのも憂鬱。

 

それに加えて、自分の中で一番見て見ぬふりし続けて来た、大きな問題。

 

「汚肌」

 

これはもう無理だと思ったんです。

治すのなんて、一生無理なんじゃないか、って思ったんです。

 

いや、本当は必ず治るということはわかっていました。。

でも、自分が7年間という期間で無理をかけてきた分だけ、むしろそれ以上に、、

時間がかかることを悟っていたからなんです。

 

だから、そんなに長い間また苦しまなきゃいけないなら、

いっそここで1人でサクッと死んで、楽になっちゃいたい・・・。

 

そう思ったんですね。

 

誰が悲しもうが、誰も悲しまなかったとしても、自殺した後に家族にどんな迷惑がかかろうと、そんなものはもうどうでもいい、って状態になってしまうんですよね。。。

 

だから、電車に突っ込む人の気持が、その時に初めてよくわかりました・・・

 

いや、この程度でわかった気になるなんて、甘いと思われるかもしれませんね、、

 

 

でも、

私の中では汚肌の悩みと身体の痛みは、それほど見てみぬ振り出来ない大きな問題に成長していたんです・・・。

 

それでも「生きたい」

でも、結局私には、

死ぬ勇気も死ぬ気力すらも無かったんですよね。

 

なにより、

「まだ生きたい。」

 

そう思ったんですよね。

 

 

どん底を見たからこそ、もうそこから見える景色は、上も下もどっか遠くに飛んでいって、

「前」しか無かったんですよね。

 

だから、重い体をなんとか持ち上げながら、

決意しました。

 

「進もう」と。

 

もう、自分には何も残っていない。

けど、だからこそ、もう進むしかないと思ったんです。

 

そこから毎日少しづつ、少しづつ、「調べる」という行動を積み重ねていきました。。

 

動けないなら、どうしたら動けるようになるのか、

身体の痛みは、どうやったら根本的に解消できるのか、、

 

肌のダメージは化粧品では解決できないとわかったなら、どうやったら肌は再生して健康になっていくのか、

どうやって化粧品依存から自立した強い肌を手に入れられるのか、、

 

ひたすら調べたんです。。

 

ネットに溢れている大半の情報は、ホントにクソみたいな情報ばかりでした・・・!

 

死ぬほど悩んでいる人の気持なんてどうでもいいのかと思えるほど、自社の利益や金のことしか考えていないサイトばかりでした・・・!!!

 

でも、諦めなかったから、本物の情報にも出会えたんです。

 

それが、「真理」という言葉の意味だったんです。

 

嘘とかホントとか、正解とか間違いとかじゃなく、

「不変の真実」。

 

人間の本能的な所に存在する永久不変の情報。

 

 

それが真理です。

深刻な汚肌脱出の唯一の道「宇津木式スキンケア法」

「宇津木式肌断食」これは紛れもない真理です。

 

というか、化粧品でのケアでは、確実に肌にダメージしか蓄積しないんです。

それは一度汚肌路線に突入してしまった人であるほど抜け出すのは困難です。

 

ゆっくりゆっくりと肌本来の機能は壊されていくんです。

それが化粧品の怖ろしさだったのです。

 

真理から背いた行動を積み重ねていけば、

遅かれ早かれ、いつか気付くことになるんですね。

 

それは私の7年間のスキンケア人生によって、確実に証明されていたんです。

 

「肌断食」に人生を懸けてみよう。

そして、本気で肌断食を始めようと決意しました。

このさき、自分の肌が一時的にどんなに酷い状態に変貌しようと、その先に待っている、「嘘偽りない心の底から笑える素晴らしい毎日」を目指して、短い期間をどんなに犠牲にしてでも、必ずたどり着いてやると。

 

そう強く強く決意したんです・・・!

 

もう、やるしかなかったんです。

私がもう一度笑うためには、「肌断食」しかなかったんです。

 

そして、そう本気で決意した日から、確実に毎日が変わり始めて行きました。

 

本当に今振り返っても、ベストなタイミングで、ベストな事象を引き寄せていったんです・・・!

 

肌断食を始めると、肌が一時的に荒れますし、肌を痛めつけてきた分だけ長い時間を要します。

そして、身体の痛みを解消するにも、一度運動を控え、長い時間を要して根本的な歪みを取らなければいけなかったんです。

 

だからこそ私には、引きこもって悩みの根本に向き合う道しかなかったんです。

 

そして、「引きこもり」を覚悟したとき、

ある人のサイトに偶然たどり着きました。

引きこもりながら、自分の生き様を一生の資産へ・・・

「引きこもり 鬱」というワードで偶然ヒットしたサイト。

そのサイトの管理者の方が、紛れもなくこの「健康進団」を創ったキッカケをくれたんです。

 

私の人生を変えたんです。

悩みである「汚肌」の改善記録をブログにしようという構想はあらかじめふんわりと決めていたのですが、

ちょうどそのベストタイミングで、「引きこもってブログで稼げる」という道に出会えたんです。

 

自分の悩みをさらけ出すことで、後々になって同じ悩みによって苦しむ誰かの助けになる。

 

自分の悩みが、いつか資産に変わるときが来る。

 

その道の歩み方を、1から丁寧に教えてくれる方と偶然出会えたんです・・・。

 

そして、私はその時から、ハッキリと自分の気持を再確認できました。

 

「無理や我慢を続ける必要なんてなかった。これからは、自分の本当の心の声に耳を傾けて、自分自身に正直に生きることを認めていこう!!」

 

もちろん何も知らずに自分のやりたいことだけやって生きるなんて、そんなのは「無謀」な道でした。

 

でも、すでに自分らしい生活を手に入れている人。

自分の好きなことで誰かの役に立って、そこにキレイなお金を生み出して、キレイな社会を作るキッカケを生み出している人。

 

そんな経験者がたくさん存在していたんです。

 

だから、なにもかも1人でなんて無理なんだから、その人達の力を、スキルを、尊い時間を、私はお金を払って買わせていただきました!

 

 

詐欺や嘘や騙しで溢れていたネット社会の中にも、真理の情報はたしかに存在していたんです。

 

真に人の幸せのために働く、現代だからこそのネットの力を最大限に活かした、新しい働き方。

 

それが、自分の行動次第で、無限大に拡がって行くことに、気がついたんです!

 

ネットのチカラは無限大だった。

闇がある人こそ、悩みがある方にこそ、

とびきりに輝ける場所が、ネットには確かにあったんです!!

 

私の人生は今確実に変わり始めています・・・!

 

自分を犠牲にしてまで働かなきゃいけない社会から、自分の小さな一歩で、自立して、好きなことで輝くことができるんです!

 

私もまだまだ成果なんて出ていないけど、でも、たしかに輝く未来のビジョンは目の前に広がっているんです。。

 

部活で無理をした自分を癒やしながら、その改善記録ブログを資産に変えていく。

スキンケアオタクに陥って壊して来た肌の機能を、ゆっくりと改善しながら、その日々を資産に変えていく。

 

 

無理を辞めて「ありのままの自分」を許す決意をするだけで、私達の未来は確かに変わるんです・・・!!

 

 

 

心と身体の健康へ、ありのままの自分で進む。。

・・・長々と自分語りを失礼いたしました。

 

でも、ここまで読んでくれたあなたは、確実にもう変わり始めています。

 

心の底から笑える未来に向かって、一緒に進みませんか?

 

健康進団ではこれからも、

ありのままの自分で進みたい人を、全力で応援していきたいと思っております。

 

 

 

 

「肌断食」とはなんぞや?

 

 

 



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